ご無沙汰しております
最近論文などでバタバタしていて、更新遅れてごめんなさい
シンガポール育ちなので、中国の古典を触れることもあったりしますが、最近よくある古典を思い出します
陶淵明の作品『桃花源記』です
一度訪れたユートピアのようなところで、二度といけなくなるような不思議のお話ですが、ちょっとWikipediaしてみたしたぁ
桃源郷への再訪は不可能であり、また、
庶民や
役所の世俗的な目的にせよ、
賢者の高尚な目的にせよ、
目的を持って追求したのでは到達できない場所とされる(日常生活を重視する観点故、理想郷に行けるという
迷信を否定している)。
創作されてから約1600年経った現在でも『桃花源記』が鑑賞されているのは、既に人々の
心の内にある存在を、詩的に具象化したものが桃源郷であるためとされる。既に知っているものであるため地上の何処かではなく、
魂の奥底に存在している。桃源郷に漁師が再訪出来ず、劉子驥が訪問出来なかったのは、心の外に求めたからであり、探すとかえって見出せなくなるという。
二度と行けなくなる理由はそのようですが
愛は今でも暗記してる文章があって、それはこれです
天将降大任于斯人也,必先苦其心志,
天の将に大任を斯(こ)の人に降(おろ)さんとするや、必ず先ずその心志を苦しめ、
天が地上の人に大任を下そうとするとき、まずその人の心を苦しめ、
労其筋骨,餓其体膚,
その筋骨を労し、その体膚(たいふ)を餓えしめ、
肉体を苦労させ、餓えに苦しませ、
空乏其身,行拂乱其所為,
その身を空乏(くうぼう)し、その為す所を払乱(ふつらん)せしむ。
体を弱らせ、しようとすることをしくじらせる。
所以動心忍性,益其所不能。
心を動かして性に忍び、その能くせざりし所を益(よ)くせしめんがためなり。
それは人の心をゆさぶって忍耐を育て、それまでできなかったことを、できるようにさせるためである。
人恒過、然後能改、
人恒に過ちて、然る後に能く改む。
人は大抵過ちを犯すが、そうした後はじめて自分を改めることができる。
困於心、衡於慮、而後作、
心を困し、慮を衡(はか)りて、而(しか)る後に作る。
心に苦しみを感じ、いろいろ思案をめぐらせて、そうした後はじめて発奮することができる。
徴於色、發於聲、而後喩。
色を徴(ちょう)し、声を発して、而(しか)る後に喩(さと)る。
苦悩が顔に表れ、声を発するようになって、そうした後はじめて道理を悟ることができるのである。
全ては神からからのトレーニングですね
愛
も貴方のユートピアになれると嬉しいです
彩花
愛
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